ロスジェネにとっては、忘れることが出来ないのがスペースシャトル「CHALLENGER号の打ち上げ直後の事故」ですね。1986年1月28日のことでした。小学6年生の冬の出来事です。
STS-51-Lの飛行士たち。前列左からマイケル・J・スミス、ディック・スコビー、ロナルド・マクネイア。後列左からエリソン・オニヅカ、クリスタ・マコーリフ、グレゴリー・ジャービス、ジュディス・レズニック この写真は、1985年11月15日に撮影されました。事故の2.5か月前ですね。
発射から73秒後、小さな部品の不良からガス漏れが起き、内部の圧力が高まって空中分解しました。分解して引火して、爆発したのでした。
真っ先に思ったのがCHALLENGER号の乗員7名の命。テレビで繰り返し何度も流される爆発映像の中に人間がいることが信じられませんでした。
1985年当時にスペースシャトルの乗組員になる能力のすごさといったら。たくさんの勉強もしてきて頭脳は天才、過酷な訓練にも耐えられるので感情は安定、体力もばっちり!でしょうから、いわゆるパーフェクトヒューマンだったはずです。本当に惜しい方々です。
今回初めて知ったのですが、あの爆発のように見える瞬間(本当は空中分解)に乗員7名がいた乗員室は外に飛び出していたのですね。爆発でお亡くなりになったわけではなかったのです。
以下、長いですが、wikiより
乗員の死因と死亡時刻 シャトルは3Gまでの負荷に耐えられるように設計されており、さらに1.5G分の安全係数が組み込まれていた。特に乗員室は、強化アルミニウムを使用していることとその設計から、シャトルの中でも大変頑丈な区画である。 機体が分解していく間、乗員室はまるごと分離し、ゆっくりと砲外弾道に転がり込んだ。NASAは分離の際にかかった負荷を12Gから20Gの間と推定した。 しかしながら、2秒以内には既に4Gを下回っており、10秒以内には乗員室は自由落下していた。この段階でかかった負荷では大きな負傷の原因になったとは考えにくい。 分解直後、少なくとも一部の飛行士は生存しまだ意識があったものと考えられる。というのはフライト・デッキにある4個の個人用空気供給パック(PEAP)のうち3個が作動状態になっていたからである。 調査官が空気の残量を調べたところ、機体が分解した後の飛翔経路に要した2分45秒分の予想消費量とおおむね整合していた。 残骸の分析において、調査官たちはマイケル・スミス飛行士の右手側パネルにある電力系統のスイッチのうちのいくつかが、通常の打ち上げ用位置から動かされていることを発見した。 これらのスイッチはレバー・ロックで防護されており、別の位置に動かすためにはいったんバネの力に逆らって外向けに引っ張らなければならないようになっていた。 後の試験では爆発や海面との衝突で生じた力ではスイッチは動かないことが確認されたことから、スイッチを動かしたのはスミス飛行士であり、乗員室が軌道船の他の部分から分離した後で何とか操縦室の電力を取り戻そうと試みたのだろうと推定される。 飛行士たちが機体の分解後も長時間意識があったのかは不明であり、主に乗員室の与圧が維持されていたかどうかに依存する。 もし維持されていなければ、あの高度では意識を保っていられるのは数秒間しかない。個人用空気供給パックは与圧されていない空気を供給するだけだったので、乗員の意識を保つ役には立たなかっただろう。 乗員室が海面に衝突した時の速度は約333km/h、制動力は200Gを大きく上回ったと推定され、乗員区画の構造的強度限界や乗員の生存可能レベルをはるかに超えていた。
落下していくときの恐怖と衝突時の衝撃を考えると言葉が出ませんね、、、
2023年の今、思うのは「37年前のコンピューターの技術」ってどの程度なのか?ということです。今は家庭用でも、ハイスペックなCPUとかメモリとかを備えてますが、当時は電子制御にも限界があり、人が目でチェックして、ギリギリのことを行っていたのではないかと思うのです。
WINDOWS95が世の中に出たのがまさしく1995年ですがその10年前のコンピューター技術ですよ。本当にすごいと思います。
そういった礎があって、今の技術に繋がっていることを感じますね。
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