氷室&布袋:BOΦWYの感動物語、ロスジェネ世代へ贈る伝説

BOΦWY
INDEX
1. イントロダクション

2. BOΦWYの音楽と影響力
バンドの誕生と成功の軌跡
氷室京介と布袋寅泰の才能の光

3. ロスジェネ世代に与えた感動
BOΦWY隆盛の背後にある社会情勢
音楽の力で結ばれたロスジェネ世代

4. 伝説のライブ1224とLASTGIGS
伝説のライブ1224
LAST GIGS

5. まとめ

1. Introduction 

BOΦWYは、日本の音楽シーンに「革命」をもたらしたバンドです。「革命」という言葉は決して過大ではないと思っています。

その魅力的な音楽と伝説は、解散の1987年12月24日から35年が過ぎた今もなお、多くの人々に愛され、語り継がれています。特にロスジェネ世代にとっては、BOΦWYの音楽は青春の一部であり、それぞれの少年少女時代の思い出やシーンのBGMとして思い浮かぶ人も少なくないでしょう。

この記事では、特に氷室京介と布袋寅泰が紡ぐBOΦWYの感動の物語を探求し、彼らの音楽がどのようにロスジェネ世代に影響を与えてきたのかを深掘りしていきます。まっちゃんとまこっちゃんのお話はまた改めて書きますね。申し訳ないですが。

ちなみに、「Introduction」は、「Image Down」へとつながる、アレ、ですよね。布袋さんのカッティングギターが印象的なインスト曲ですね。

2. BOΦWYの音楽と影響力

BOΦWY(ボウイ)は、1980年代に日本の音楽シーンに革命をもたらした伝説的なロックバンドです。その独創的な楽曲は、多くの人々の心を掴み、わずか6年間という活動期間にもかかわらず、大きなファンベースを築き上げました。彼らの音楽と影響力について考察してみましょう。

バンドの誕生と成功の軌跡

BOΦWYは1981年に東京で結成されました。氷室京介(ボーカル)、布袋寅泰(ギター)、松井恒松(ベース)、高橋まこと(ドラム)の4人のメンバーです。結成当初は6名でしたが途中で2人が脱退して4名のバンドになりました。

有名なエピソードは、氷室がプロのボーカリストとして上京したものの、うまくいかず、故郷に帰る前に日比谷野音でRCサクセションのライブを目の当たりにし、諦められなくなった。「あいつともう一度、夢を追いかけたい」と思って、布袋に電話して六本木アマンド前で待ち合わせした。そういう秘話が残ってますよね。

先日、2023年7月に六本木アマンド前を通りましたが、今でもBOΦWY誕生の聖地とされているようで、ロスジェネ世代のご夫婦が店の前で写真を撮っていました。布袋さんが40周年の振り返りで、六本木アマンドのお話に触れていますね。

バンド名は、当初「横浜銀蠅」にインスパイアされたプロデューサーに「群馬暴威」という名前を強制されましたが、すぐに改名し、どこにも所属しないという「Φ」を真ん中にいれたBOΦWYになりました。当時はその独特なスペルが魅力の一部となりました。この「Φ」が変換でなかなか出なくて(笑)。「ファイ」と打って変換すると現れますのでお試しを。

BOΦWYの音楽は、80年代の日本の音楽シーンに新風を吹き込みました。従来の日本のポップミュージックとは一線を画すロックサウンドは、ロスジェネ世代の若者たちに新たな刺激を与えました。BOΦWYの楽曲は、情熱的なエネルギーとポップなメロディが融合し、多くの人々を魅了しました。代表曲「B・BLUE」や「ONLY YOU」などは、その躍動感あるビートとメッセージが多くのファンの心に響きました。

BOΦWYの曲の中で何が好きか?と尋ねられると本当に難しい、と感じる方は多いのではないでしょうか?作曲は氷室&布袋、作詞はおおむね氷室が担当しました。二人の才能がぶつかり合って切れ味鋭い刃ができ、松井と高橋のボトムが柄となってBOΦWYという名刀になっていったようです。ここでは氷室と布袋の光にスポットをあてていきましょう。

氷室京介と布袋寅泰の才能の光

氷室京介と布袋寅泰の才能と個性のぶつかりは、バンドの個性そのものでした。氷室のセクシーで切ない歌声は当時の誰にも重ならない独創性をもち、若者たちの心を揺さぶりました。「わがままジュリエット」は氷室が作詞・作曲したミディアムテンポの楽曲。1曲の中に様々な要素が盛り込まれていて、ドラマティックに展開していきます。当時のVIDEOクリップが残っていますが、一人の美少女をめぐるドラマが美しく、切なく、少し怖い作品になっています。1986年2月の作品です。

氷室のミディアムテンポの曲を聞き終わると、なんとも言えない余韻が残ります。どこかセピア色、というか、戻れない時間、、、のような感じです。「わがままジュリエット」が収録されている「Just A Hero」というアルバムに「Welcome to the Twilight」という曲がありますが、これも後味の残る楽曲になっています。

一方、布袋寅泰の独創的なカッティングとメロディアスなギタープレイは新たな音楽の可能性を示しました。彼らの音楽は、若者たちの日常や感情とは一線を画し、憧れを呼び起こすものでした。布袋のカッティングの素晴らしさを知るには「Bad Feeling」のイントロを聞くだけで十分でしょう。

これだけのカッティングを、あれだけ体を動かし、左足でビートを刻みながら、寸分狂わず音符に乗せてくるのは才能そのもの、です。日本にこんなギタリスト、他にいますかね?もちろん上手な方はたくさんいるのですが、カッティングの正確さと独創性と、体の動きと。唯一無二の才能です。

メロディアスなフレーズと言えば、先程の「Welcome to the Twilight」のエンディングのギターソロが該当します。4:40ぐらいからです。スリリングですよね。

BOΦWYは氷室と布袋の二人の才能が同時代に奇跡的に絡み合ったから、BOΦWY足りえたのしょうね。ちょうどビートルズが、ポールマッカートニーとジョンレノン、二人の天才の奇跡的なコラボレーションで生まれたように。

BOΦWYの影響力は、音楽だけにとどまりませんでした。彼らのファッションやスタイルも若者たちに影響を与え、多くの人々が彼らのファッションやヘアスタイルをまねるなど、カルチャー全般に波及しました。ジャンポールゴルチェというブランドもBOΦWY発信で知った人も多いのではないでしょうか。

BOΦWYはベストテンなどのテレビの音楽番組には出演しませんでした。主にライブ(当時はGIGと言ってましたが)パフォーマンスだけがBOΦWYに触れあえるチャンスでした。そのため彼らのライブのチケットは、プラチナチケットになっていき、当時もっともチケットを入手することが難しいアーティストでもありました。

さらに、BOΦWYの音楽は後世のアーティストたちにも大きな影響を与えました。彼らのスタイルやメッセージは、日本の音楽シーンに新たな風を吹き込み、多くのアーティストが彼らの影響を受けて活動しました。特に布袋寅泰の髪を逆立てるヘアスタイルはのちのビジュアル系バンドにも大きな影響を与えました。テレビに出ないことがかっこいい、というスタイルものちに継承されていったようです。BOΦWYの音楽は、日本の音楽文化に深い足跡を残したと言えます。あとで書きますが、絶頂期に解散というカットアウトの美学もその後の伝説につながっています。

3. ロスジェネ世代に与えた感動

BOΦWY隆盛の背後にある物語

BOΦWYの音楽は、多くの人々に深い感動をもたらし、特に「ロスジェネ世代」と呼ばれる世代にとっては、青春のシンボルとして刻まれています。彼らの音楽は、その独特なエネルギーとカッコよさによって、若者たちの心に強い憧れと深い共感を呼び起こしました。

BOΦWYが活躍した1980年代の日本は、経済的な繁栄と文化の変革が同時に進行していた時代でした。この時期は「バブル景気」と呼ばれ、急速な経済成長と社会的な変化が起きました。BOΦWYの音楽が登場したこの時代には、急激に豊かになる社会状況が彼らの音楽と影響力にさらなる深みを与えました。

特に1stアルバムの「MORAL」は、学校や社会に向けた反体制的な歌詞も多く、当時の大人たちに対するやり場のない怒りや憤りを代弁してくれていたような気がします。「大きな顔して説教しても、2月の終わりに震える奴ら~」というお礼参りを歌った「School Out」です。

当時は尾崎豊の歌詞にも、大人たちの決めごとに対する憤りが歌い込まれていました。尾崎豊は1983年デビューなので、BOΦWYとかぶりますね。ロスジェネ世代にとっては、BOΦWYと双璧のアーティストです。下記は、LAST GIGSの4か月後に東京ドームで行われた伝説のLIVEから、「卒業」です。

音楽の力で結ばれたロスジェネ世代

一方で、バブル景気は経済的な一過性の現象であり、その後のバブル崩壊によって日本経済は大きな落ち込みを経験します。この転換期に、若者たちは不安や希望を抱えながらも、BOΦWYの音楽を通じて心の支えを見出しました。BOΦWYの歌詞やメロディは、変化する社会の中での共鳴と共感を提供し、多くの人々に勇気を与えました。

BOΦWYが解散した1987年末ごろは、本当に景気の良い時代でした。ロスジェネ世代はまだ中高生でしたから、自分たちはさほど実感はありませんでしたが、大人たちの金回りが良かった(笑)。ただ、そのころ急に羽振りが良くなった人たちはたいてい没落しましたが。

その時代は、ネットもスマホもなかったので、同級生とはリアルな会話しかありませんでした。その時の話題は音楽だったり、テレビの話題だったり。お互いカセットテープを貸し借りしたり、友達のうちに集まって大音量で流したりしました。

当時100円で1曲歌えるカラオケが出始めたのもこの頃。お金を入れて曲を指定すると、レーザーディスクプレイヤーが自動でディスクを入れ替えて、流してくれましたね。通信カラオケとなるのはもっとあとになってからです。BOΦWYの曲ばっかり歌ってましたが、どうしてもメジャーな曲しかない。仕方ないので、ギターを練習してカラオケにない曲を弾き語りするよううになりました。そのうちバンドブームが起こるのですが、私もBOΦWYコピーからバンド活動に没頭していった一人です(笑)

ロスジェネ世代にはBOΦWYがあった。今でいうBOΦWY推し、という感じでしょうか。だから大変な時代も乗り越えられたし、友達ともつながることができたような気がしています。

4. 伝説のライブ1224とLAST GIGS

伝説のライブ1224

BOΦWYのライブパフォーマンスとしてベスト3を上げろと言われたら、CASE OF BOΦWYか1224か、LAST GIGSのいずれかが上がるのではないでしょうか。ここでは実質の「解散宣言」と言われる1224について掘り下げたいと思います。下記はライブDVDの発売CMです。

BOΦWYとしてのラストライブとなった1987年12月24日の渋谷公会堂でのライブ。解散の噂はすでに流れており、チケットがなくて会場に入れなかった人も会場外でごった返したとか。

BOΦWYの解散宣言と検索するとヒットするこの動画、BOΦWYファンなら見たことない人はいないのではないでしょうか。

氷室は一度も「解散」と明確に言ってないんですね。「これから一人一人のために、、、いままで4人でしかやってこなかった音楽のように、、、これから一人一人やっていこうと思います」と言ってます。これが解散宣言と言われているだけなんですね。この時の会場からの悲鳴がすごい。ボーカルのマイクから拾っているだけでも、怒号のような悲鳴が上がってます。

この時のことは、高橋まことの著書「スネア」に詳しく書かれています。

(略)「解散しますとは言ってくれるな」と布袋がもし一言言ったらバンドはそのまま続く可能性もあったから、最後の最後までギリギリのせめぎ合いだった。(中略)布袋がもしあの時、氷室の方を向いていたら…。歴史に「if」は存在しないものだが、今でもたまにそんな想いが脳裏をよぎる。

↑上のYOUTUBE動画の40-50秒ぐらいのところです。氷室が意を決して伝える様子が見て取れますね。解散の理由はいろいろ出てますが、ここでは触れないようにします。

よく、「BOΦWYに再結成してほしいか?」という話題がファンの中であがります。BOΦWYファンあるあるですね(笑)。この議論にはかならず行きつく先があって、再結成は見てみたいけど、再結成してほしくない、という到達地点です(笑)。皆さんも心当たりあるのではないでしょうか?

「いやいやBOΦWYは1224で解散しているから、LAST GIGSがすでに早過ぎる再結成なので、もう再結成したよ」とかいう人もいます(笑)ので、LAST GIGSについて書きます。

LAST GIGS

1224の宣言の翌日に新聞各紙に出されたメッセージですね↓。ネットニュースなどない1987年です。

東京ドームのオープンは1988年3月17日です。LAST GIGSは4月4日-5日なので、オープン直後ですね。チケット予約のための文京区の電話回線がパンクしたとか伝説が残ってますが、これは今のZ世代に通じますかね?「ネットで予約したらいいじゃない?」とか言われそうですが。ネットがない時代!通信インフラは有線の置き電話だけです!ちなみに、公衆電話のほうがつながりやすい、という都市伝説がありましたが本当なのでしょうか?

5万人を前に23-24曲を贈った伝説のライブです。BOΦWYが解散してからの同窓会的ライブなので、DVDを見返してもどこかリラックスしていていますよね。氷室のMCが名言過ぎて震えます。

「6年前に新宿ロフトでやった時、わずか30人か40人だったけど、やっぱりお前らみたいなすげぇイカしたヤツらが集まってくれて…それがこんなに大勢いるなんて感激です。多分これから、いろんな人たちがここで伝説を作っていくと思うけど、俺らはまだまだ伝説になんかなんねぇぞ!」

この時、氷室は27歳。布袋は26歳。松井は27歳。高橋まことは34歳。氷室のMCとは裏腹にLAST GIGS後は伝説化一直線です。↓最後のメンバー紹介!氷室と布袋が握手するシーン。これを観れば不仲説などないと思いますが。

2日間のLIVEは、初日のPAの調子があまりよくなく、明け方までメンテナンスした様子が、解散後のバンドの姿勢らしくなくてプロフェッショナルを感じたとまこっちゃんの著書にありました。どんな雰囲気だったんでしょうね。↓オープニングからのB-Blueです。カッコよすぎる!

5. まとめ

BOΦWYの魅力と伝説は、氷室京介と布袋寅泰、松井恒松、高橋まことによって織り成された感動的な物語です。BOΦWYの音楽やスタイルは、80年代以降の日本の音楽シーンに大きな影響を与え、ロスジェネ世代をはじめ多くの若者たちに感動と希望をもたらしました。BOΦWYの楽曲は、青春時代の記憶と共に心に響き続け、ロスジェネ世代にとって特別な存在となっています。氷室京介と布袋寅泰の音楽とメッセージは、今もなお私たちに響き続け、BOΦWYの伝説を永遠に刻み込んでいます

「フォークのバンドじゃねーんだから、ジメッとするのは似合わねえと思うから、最後にビシッと!夢をみているやつらに贈るぜ!Dreamin’!」

最後まで見ていただきありがとうございました!

コメント

  1. バスティーユ監獄2世 より:

    改めてBoΦwyのファンになりました。たくさんのYouTube動画もありがとうございます!

    • itarist0825 より:

      @バスティーユ監獄2世様  コメント頂きありがとうございました。「バスティーユ監獄」というネーミング、最高です。
      私自身、BOφWYのことを想起しない日は無いぐらいの、BoφWYファンです。しばらくブログの更新が止まってましたが、
      バスティーユ監獄2世様からのコメントで奮起しました。これからもBoφWY関連のブログを上げていきますね。
      よろしくお願いします!

    • lNzcjYLDbSVOFR より:

      IKUcYnZhmC

  2. dRhQVcObWa より:

    CfZulNStvLcVpmE

  3. SwpMrhIQ より:

    GzRMkLqcpuN

  4. vIxoCeqfkN より:

    ykeoSBdgXatmc

  5. WFPafjXqv より:

    hjuqcxlaXCQdG

  6. lNzcjYLDbSVOFR より:

    cCLsUHNvODkbFr

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